ヒッチハイクでマグロ漁船に売られそうになった時のお話
今週のお題「激レア体験」
三日間ブログをさぼってしまった。。。
いろいろ本業の仕事が忙しかったり途中で文を書きたくなくなって、
ブログもさぼってしまっていた。
今週のお題は、激レア体験ということで、僕の激レア体験を書きます。
今日は目次形式で書きますね。
ヒッチハイク中にマグロ漁船に売られそうになった時のお話
なぜヒッチハイクをやっていたのか
実は僕は、大学時代はヒッチハイクを毎週やっていたヘビーヒッチハイカーでした。
なぜ、僕がヒッチハイクをやっていたかといいますと
アイドルの追っかけのため
大学時代地下アイドルの追っかけをやっていて、ひょんなことからファンが5名程度のアイドルのTO(トップオタ)をやっていました。そのため、毎週土日に行われるライブのためには、東京へ行かざるを得ません(義務感)
当時地方国立大に通っていた筆者は、バイトをやめてライター生活、ライブ代と土日のカプセルホテル代でかつかつの日々。
そんな時に出会ったのが、昔ヒッチハイクを移動手段にしていた、知人でした。
知人のバイタリティーに魅了されて僕もヒッチハイクをすることに。
初めての夜のヒッチハイク
大学三年生のある6月の土曜日、その週は推しのライブが珍しく入っておらず、大学のある地元で過ごしていました。
その夜に、推しが急遽日曜日にライブをするとツイッターで告知があったのは、夜6時ごろ。その時間だったので夜行バスで行こうかなと思いつつも、かれこれ20回以上東京を往復してきた僕は、この日もいつものインターチェンジに向かい、ボードを掲げヒッチハイクをやっていました。
夜のヒッチハイクはなかなか人も捕まらないながらも、どうにかこうにかで埼玉まで到着。
埼玉についたころには午前2時ごろ。いったんベンチに座って夜が明けてからヒッチハイクを再開しようと1時間ほど、ゆっくりとしていたら。。。
急に止まった黒塗りのベンツ
埼玉のサービスエリアでボケーと時間を過ごして1時間。いきなり、黒塗りのベンツが止まった。
黒塗りのベンツの窓が開き、「兄ちゃん何やってんの?」といかにもなオジサマにいきなり声をかけられる。
黒塗りのベンツと一瞬は警戒したが、どうせ冷やかしって思って正直に、「ヒッチハイク中ですけど??」みたいな感じで答えると、「池袋までなら乗っけるよ」と言われて、どうにでもなれって思って乗り込む僕。ここからが、恐怖に震えたドライブが始まるのだ。
恐怖のドライブ
ベンツに乗り込むと、最初は普通の世間話から始まった、なんでヒッチハイクをしているのかや、何をやっているのかなど、いつものヒッチハイクと変わらない。
そこから、だんだんと体力があるかや、どんなバイトしていたかや、肉体労働はやったことがあるのかなど、よく意図がわからない質問の連発。
何かおかしいなと思いながら、おじさんの仕事の話を聞いたりしていた。おじさんの仕事をきくとやはり、人の斡旋とかいろいろアウトローな方っぽい。あっ、なんかやっちまったかなと思った時には、時すでに遅しだった。
埼玉から荒川を超えたとき、おじさんからいきなり、こんなことを。
↓から会話形式にします
おじさん「〇君本当に東京に行けると思ってるの?」
僕「??えっ池袋までっすよね」
おじさん「そんなわけないよ~〇君を今からマグロ漁船に乗せようと思ったんだよね~」
僕「!?」
おじさん「あの時間にヒッチハイクで乗せるわけないよ~〇君なら150万以上で売れそうだしと思ってね」
こんな会話をおじさんが笑いながらしてくる。
僕は、内心ビビりながらもここまできたらどうにでもなれと思って、
おじさんに対して
「そうですか。それは残念です。マグロ漁船に乗せられるならそれまでです。
僕が〇さんが東京まで乗せてくれるといって信じて乗ったのが悪いので。〇さんが
あくどい人間と見極めることができなかった僕もこれまでです。どうぞ、どこでも
連れて行ったらどうですか?」
と内心ビビりながらもバシッといった。
そうすると、おじさんが笑いながら、「冗談冗談と」言われて、どうも、
この状況で助けての一言も言わなかったことが気に入った様子。
ただ、おじさんは、ヒッチハイクの危険性を教えたかったようですが、意外と覚悟を持っていたことに驚いたようでした。
そして、なぜかおじさんに面白いやつ認定をされて、「池袋についたら始発まで愛人の家にきたらどうだ」と誘われ、断るにも断れず行くことに。
人生で最も飲むのに躊躇したコーヒー
池袋の某所。おじさんの愛人のいる、おうちは閑静な住宅街の一角にあった。中にいた愛人のお姉さんも、麗しく美人なお姉さん。
おじさんは、「ヒッチハイクで捕まえてきたからコーヒーでも出して」と言われて、
お姉さんがコーヒーコーヒーを出してきた。
このコーヒーまさか睡眠薬とか入ってないよな?と疑いながらも、おじさんからの仕切りの勧めに合い飲むしかなく、意を決して飲んだ。
結局コーヒーも何も入っておらず、二時間程度おじさんの家で雑談を交わして、
ようやく解放された。
解放
朝5時ごろにようやく解放されて、僕は妙な疲れと興奮を感じながら、池袋駅へ向かい山手線に乗って、現場のある秋葉原へ行き、ネカフェで爆睡。
昼の推しの現場に行き、推しのライブを全力で楽しみ、そのまま、新幹線で帰りは大学のある地方へ帰りました。
ヒッチハイクで得たもの
この経験をした後も、推しをお支えすべく、幾度となくヒッチハイクを繰り返した。
このヒッチハイクの経験があったからか、たいていのことに怖さはなくなった感はある。
今でも、仕事をしていてつらい時も、「確かにつらいけど、これで殺されたりマグロ漁船に乗せられるわけではないな」とメンタルを維持するための、よい出来事だったと思います。
ちなみに、ヒッチハイクの経験は、学生時代に頑張ったことのエピソードとして、就活ではお話をして、就活時のネタには全く困りませんでした(笑)